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お月見            秋桜とノビタキ

 仲秋の名月、今夜のは青く澄み切ったように見えた。太目の刷毛で書いたような雲も少しは出てはいたが、薄墨色の世界都会の天空に浮かぶ、その村雲の中に見え隠れする仲秋の名月というのもなかなか風情があるものよと、月を愛で一杯と洒落込んだ。

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 里山の風情のあるコスモス畑に行ってみた。彼岸も近いというのに常軌を逸した凄まじい暑さのため午前中にて撤収。

     『月の友三人を追ふ一人かな』

     『仲秋や月明かに人老いし』      高浜虚子
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by hiro-0941 | 2007-09-27 02:21

仲秋の名月     キビタキ 

 山間の畑中にいた、つるべ落としの秋の夕暮れ、誰かが私を呼んだかのように山風か、川風か一陣体を巻きながら通り抜けた時、汗ばんだシャツがひんやりと感じるようになった。秋風が、私を呼んだのか。ふと、秋色・情景・・・何かを見つけに旅に出たいと思う。

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今日は仲秋の名月との事・・・何をか想わん!

 夕刻強めの季節風が吹き、大気の空気がかなり澄み切ったように見え、月が満月ではないがゆっくりと色鮮やかに昇り始めた。事務所の窓から夕暮れが色鮮やかに見える。村雲のなか夕日は静かに沈み見慣れた街々が灯りを燈して行くこの時の流れ悠久の流れに浸る瞬間でもある。

 『月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月』  読み人知らず

 『今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな』   百人一首
 
 『誰そ彼と我をな問ひそ長月の露に濡れつつ君待つ我を』    作者不明
 
 『長月のしぐれの雨の山霧のいぶせき我が胸誰を見ばやまむ』  作者不明
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by hiro-0941 | 2007-09-25 23:06

秋         赤とんぼ

 暑さの残る初秋の昼下がり、槿の花がやさしく咲いている、もう秋なのだ。もう少しで金木犀も香り立つ頃となる、あの暑かった日々の思い出が、体の中を通り過ぎてゆく。


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雨はれて心すがしくなりにけり窓より見ゆる白木槿(しろむくげ)のはな  『斉藤茂吉』


際白く奥むらさきの良き花の木槿おもへば秋の日かなし   『若山牧水』
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by hiro-0941 | 2007-09-24 22:17

千日草      千日紅

昔は、花がない時に仏壇に、お墓にと供えた花だと聞いたが、はたしてその記憶はない。
ともあれ暑過ぎて記憶に留める物が何一つない。
モニターが壊れたようだ、全てがアンダーな紫色に見える。困ったものよ。

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  道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何をか思はむ          万葉集
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by hiro-0941 | 2007-09-17 20:23

遠花火          在、故郷

ドーン・・・ドーン・・・。我が胸に激しく響く、また遠く切なく微かに響く、哀愁を帯びた思い出だけが通り過ぎてゆく。幼き頃、浴衣を着て、母の手に引かれ鬼怒川の畔を歩きながら、泣いていた。綿飴が欲しくて泣いていたのか、下駄の鼻緒が痛くて泣いていたのか記憶は曖昧だが、我が心に残る思い出の一つである。

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思春期の頃ともなれば、恥ずかしくもあり、また胸に棘刺す甘酸っぱい思い出のみが我が心の中を通り過ぎてゆく。哀愁の情景が限りなく広がる。
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by hiro-0941 | 2007-09-12 23:30

高原にて        ホオジロ

 各駅停車の車窓より、駅に停車するごとに遠くからかかすかに聞こえる、打ち上げ花火、鉄橋を渡れば見えるかもと、少し身を乗り出して期待も膨らむ。生憎の曇り空なのか、花火が光っているのか雷なのか分からない。花火の音だけが少しづつ近づいたような気もしてきた。時折暗くなる車窓に写る、我がかんばせ(顔)多少の皺を数えながら、若干ぬるめのビールを飲み干した。振り返れば幾年月の歳月を都会にて過ごしてきた私にとって、ふるさとへ帰るといううのは、いくつになっても心が熱くなるものだ。

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私の好きな作家の一人再び  『串田孫一』 著 随筆集より


 『夏の終りの緑は明らかに疲れて黒ずみ、悦びの艶も見られない。だがそれが黄ばみ赤らみ、そして最後には見事な黄色や赤へと変って行くが、人の生涯にも春があり、真夏の歓喜があって、実はその先の生き方、またそれに伴った考え方が決して簡単ではない。
 生命の目的は、登ろうとする山の姿が快晴の日の空にくっきりと聳(そび)えているようによく見えている。仮令(たとい)目的が判らなくとも、山道が徐々に高まりを感じさせ、山頂へと導いて行くように、自然は生命を導き、丁寧に案内する。
 山頂を踏み、目的を達した後も、自然は見護ってはいるに違いないが、緊張をそこでかなり失った下山者は広い裾野に向って屡々(しばしば)道を選び違えたり、道を失ってしまう。』
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by hiro-0941 | 2007-09-08 01:10

エゾビタキ          

 田園の道々を急げ急げだ。東北本線各駅停車、上野駅より出発、都会の町並みが少しづつではあるが変わり行く車窓の景色がたまらなく好きだ。田舎に行くときはいつもこの列車だ行きも帰りも、風情を楽しむビールを飲みながら。自動車だとビールを飲むというわけにはいかないからね。車窓から振り返り見ればいつしか都会の夕暮れが小さく小さくなっている。何処からかタバコの臭いが、窓を開けてみる、青草の臭いが飛び込んできた。蛙も鳴いている、嗚呼!!万感胸を熱くする我が古里なり。列車が利根川か、渡良瀬川か渡ったころ、日光和楽踊りが聞こえてきた。なつかしの盆踊り、列車内の生暖かな空気の中、酔いも手伝いまどろんでしまった。


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田舎の情景だと本来、斉藤茂吉のほうがぴったりなのだが、次回の持ち越しとする。


 戻る子と行く母と逢ふ月見草 
                虚 子

 窓の燈の草にうつるや虫の声   
                子 規
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by hiro-0941 | 2007-09-07 00:40

大雪山      ユキウサギ

 夏姿のユキウサギのペアである、と思われる、。真冬になると新雪のように真っ白になるのだと聞いた。一度真冬の大雪にと思ってもいる。なかなか見られないナキウサギをと思ったがそうは簡単にはいかない。何時かは撮影できそうな希望を持ちながら。


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再び、串田孫一の随筆の中から、少しばかり、哲学的になってしまった(笑)。

『夏が終れば秋になるという訳ではない。それぞれの季節の間には何れとも定めにくい曖昧な日があるが、この夏から秋への移り変り方には暗示が含まれている。
 尤もこのことについては気温の変化の仕方が極端であったりして、人間の交感神経がまごつくということも勘定に入れて置かなければならない。そのために精神が不安定になるのは当然で、これを巧みにあしらって乗切れる人と、異常状態に陥る人とがある。
 都会にこの夏とも秋とも言えない天気が続く頃には、高い山へ登ってみればもうはっきり秋になっている。従って山へ逸れてこの危機から抜け出そうというのも一つの手段である。山ではそれ以前に夏の疲れを拭い去るように激しい風が吹き、秋を連れて来る。
 そう言っても曖昧な期間が全くない訳ではなく、山の木々が一夜にして色を変えることはない。』
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by hiro-0941 | 2007-09-05 22:58

於・北海道      エゾカンゾウとノビタキ

 旧盆も過ぎた8月20日の頃であったか、里山の主(あるじ)より竹林の中で一席設けたので一杯やらんかとの話し、暑さ極まるこの時に竹林の中で涼を撮りながらの一杯とはなかなか良いものだ。今年の最高気温を記録したとのこと、竹林の中さぞかし涼しいかと思いきや、風もなく猛暑に負けてしまっている。ビールが瞬く間に温まってしまう。こんなのは初めてだと、主(あるじ)の嘆きが暑さの中で悲しく響いた。氷を入れたビールもなかなか上手いものだ。

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高原も草原も異常なほどに暑いのだ。夜は幾分涼しさもあるのだが蒸し暑さが体に纏わり付いてくる。暑いのも良いが、体が異常に憔悴してゆくのが分かる。嗚呼!!秋が恋しい。

 秋の野に咲きたる花を指折り  かき数ふれば七草の花
 
 萩の花尾花葛花撫子の花女郎花  また藤袴朝貌の花   
                                          山上憶良 
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by hiro-0941 | 2007-09-04 23:35

白 露 (はくろ)         シマアオジ

 白露は「しらつゆ」の意で、この頃、秋気も本格的に加わり、野草に宿るしらつゆが、秋の趣をひとしお感じさせる。セキレイが鳴き始め、ツバメが去っていくと、暦の上では言われている。

 あの異常なまでの狂ったような暑さは何であったのであろうか、処暑を過ぎた頃涼しくなった。何か忘れ物をしたかのように体がだるい。日本の四季がはっきりしていると言うのもこのことなのか、これからが楽しみな日本の秋が訪れる。久々に都内の木々が茂れる公園へ、行く夏を惜しむかのように蝉時雨を全身に浴び、半日楽しく過ごした。夏の疲れが少しずつ少しずつ体からとれて行くのを感じる一日でもあった。夜になれば庭先にて虫たちが大自然のオーケストラと成りて心も体も癒されてゆく最高の至福の時である。


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串田孫一なんぞを蜩(ひぐらし)の声を聞きながら読んでみた。

 『夏の初めの、雨の多い頃に歩いた山で、木々の葉の一枚一枚に霧雨が雫(しずく)となっていたという印象は、そんなものには直ぐに見飽きてしまうという者には何の値打ちもないものではあろうが、その雫は美しく貴い。庭の木々に宿る雨の雫(しずく)と何処が違うのか、そんなことを考える必要はないが、若しどうしても知りたければよく見ればいい。そこに逆さに映っている風景が違う筈である。そして更に言えば、若し見る人が謙虚であれば、見る眼とそれを受止める心が違う。』
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by hiro-0941 | 2007-09-03 23:27