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青葉茂る         カワガラス

久しぶりの五月晴れと感ずる、さわやかな薫風香る午後玉川上水沿いを散策す。青葉若葉より木漏れ日が眩く宝石の如く美しい。煉瓦のカフェーにてしばし頭を休める。

青葉といえばやはり大楠公であろう、以前にも少しふれたが、若干紹介しておきたい。以下固い話で恐縮。
時は鎌倉時代
湊川の戦いは、南北朝時代 (日本)" 南北朝時代の1336年7月4日((建武3年)現行ちょうど今頃の事である(5月25日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区兵庫区)足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である、この戦を有名な「湊川の戦い」と言う。
正成は後醍醐天皇に尊氏と和睦することを勧めたり、一旦京都を離れて比叡山に登り、空になった都に足利軍を封じ込めて兵糧攻めにするべき、等と数々の進言をしたが結局受け入れられず、紆余曲折は様々あるが、結局は死を覚悟して戦場に赴くことになるのであった。


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『 太平記』には、桜井の宿にて正成が数え年11歳の正行に対し、「自分は生きて帰らないつもりで戦場に向かうので、お前は故郷の河内(現在の大阪府東部)に帰って朝廷(ここでは後醍醐天皇のことをさす)に忠誠を誓え。」と諭したと記している。

後醍醐帝が隠岐に流された時の御歌に  『埋もるゝ身をばなげかずなべて世のくもるぞつらき今朝の初霜』とある。
遠島の地でこの身が埋もれるよりも、世の中の曇りがつらいとひたむきに民を思う、後醍醐帝の大御心に仕えまつることこそ、乱れた世を直し、平穏な安泰の国土建設へ実現する道と、正成は信じたのであろう。正成の魅力というのは自らの名誉も富も顧みることなく、後醍醐帝に仕えた一途さにあった。
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by hiro-0941 | 2008-05-28 00:35

稲   妻        ミソサザイ

先日の夕刻、またもや激しい雨の荒れ模様・・・、事務所3階の窓から時折遠くの稲妻が光る雨音激しく窓を打つ・・・、年々春の嵐というのはこの温暖化によって、激しくなるのかなと思いながら眺めていた。すこし小降りになった頃合いを見て帰り支度の女人(ひと)「激しい雨よね・・・小降りになったかしら」・・・。「こういう雨を遣らずの雨というのお客様を返したくないという意味よ」「あら上手なのねぇ~。」とのやり取りがあり、・・・・。戸外に出るとすでに激しい雨は上がっていた、湿気を帯びた雨の匂い、青葉の香りが私を包んだ、雨が上がってよかったですねと別れを告げ車に乗る。駅まで送りましょうかと言えぬ私の生来からの不器用さ・・・・。味気ない心残りの雨となってしまった。



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稲妻は照らさぬ宵もなかりけり いづらほのかに見えしかげろふ


稲妻の光にかへてしばしまた 照る日は曇る夕立の空

                                          『詠み人不詳』
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by hiro-0941 | 2008-05-26 22:23

薫風五月          コルリ

 その日も春の嵐の如く激しいにわか雨、朝の天気予報を上の空で聞き流しそぼ降る小雨程度かと思い、傘も持たずに出かけてしまったのが悔やまれる駅前の夕刻・・・。しばらく駅ビルの中の書店にて閉店まで雨宿り。小雨の頃合いにはやはり小料理屋へと足が向いていた。・・・・。鰆の刺身が美味いとのお勧めで熱めの燗で一杯。・・・・酔った常連たちが、女将さんのお友達であるお嬢さん(年増かな?)をカラオケに誘っている。「まぁっ!いけずやわぁ・・・・。私にはお誘いがないのに・・・」カウンター席の私の隣の席に背を向けて割りこんで座る女将、仄かにj香を焚いたのか、香水か分からぬが香っている。振り向いて私に「私もカラオケに行きたいわ、ねぇ~・・・歌を聞かせて・・・」生憎と歌を歌う力量などなく聴いている方のがまだ楽しみである、何も言わずに苦笑いをして済ましてしまった。塩沢紬をさらりと着こなしている女将の白いうなじがなぜか眩しく見えた。


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少し疲れ気味ストレスも溜ってしまっている来週には温泉にでも行ってくるか。


みやこにて夜昼となき わがわびしき作のつかれを 
こころゆくまで 温泉につかり心しづめん
                                             「室生犀星」
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by hiro-0941 | 2008-05-21 22:44