「ほっ」と。キャンペーン

<   2009年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

五月雨                             イカル

珍しく一日自宅在・・・・。過日節分の頃であったか、事務所の移転、また管理する地域が変更になることもあり、一息入れるために、街々の豆まきの声がする夕暮れ時いつもの小料理屋へと暖簾をくぐった、カウンターに鮮やかな紅寒椿が一輪・・・・ねえ~豆まきはしなくて…・、事務所の移転があり通うのに遠くなる等々・・・・いつか花見に行きたいとの話梅より桜と約束をした、ねっっ!変わらずにご贔屓に・・・・と看板まで女将がお酌してくれ、ねっねっ!お花見がたのしみ夜桜がいいわァ~・・・・。



d0107950_22112936.jpg

d0107950_2212393.jpg



『鶯の 木伝こつたふ梅のうつろへば 桜の花の 時片かた設まけぬ』

『桜花 時は過ぎねど見る人の 恋の盛りと 今し散るらむ』        詠み人知らず 万葉集
[PR]
by hiro-0941 | 2009-04-29 22:24

新 緑                            イカル

スーとした空気が私の胸元を通り過ぎてゆく、屋台の明かり、またライトアップされた桜並木道行き交う人々の影模様がこれまた情緒あり、冷え込んできた空気のなかほのかに桜の香り漂う夜桜の遊歩道、散りゆく花びらも優雅咲き誇る花も優雅・・・・。夜桜見物・・・・久々に小料理屋の女将たちも一緒だ、屋台にて買い求めた焼きそばに焼鳥・ビールと・・・全く極楽の一夜である。桜並木のぼんぼり明かり・・・薄月夜の宵、寄り添いし女将のほつれ髪が揺れ微かに香る・・・・、ううん・・・・酔った。





d0107950_2024451.jpg

d0107950_2031463.jpg

d0107950_204436.jpg



 『さ夜ふけて 風や吹くらむ花の香の にほふ心地の 空にするかな』         藤原道信

 『暮れぬべき 春のかたみと思ひつつ 花の雫に 濡れむ今宵は』

                                         「大中臣能宣 おおなかとみ の よしのぶ」
[PR]
by hiro-0941 | 2009-04-29 20:30

さくら                            イカル

新年度始まって慌ただしくもう二十日もすぐ去ってしまい、今年は珍しく桜の花を愛で酒を飲むことはなかった。寂しい限りである、今月末には少しの余裕ができよう、風に吹かれ、たれぞ尋ねん北の方へ花見に行って来るか。




d0107950_22592780.jpg

d0107950_22595958.jpg



『さくら花 散り交かひ曇れ老いらくの 来むといふなる 道まがふがに』

                                                   『在原業平・古今和歌集』
[PR]
by hiro-0941 | 2009-04-21 23:06

さくら                             アオゲラ

花は既に散っていました・・・・・。花は散りぬといえどもまた明春も開くべし、廻り来る此の情景を憂えることなかれ・・・・・。



d0107950_23325227.jpg

d0107950_2334868.jpg


桜の和歌といえばやはりこの歌かな・・・・・。

『花の色は うつりにけりないたずらに わが身世にふる ながめせしまに』        小野小町

『色も香も おなじ昔に咲くらめど 年ふる人ぞ あらたまりける』                紀友則
[PR]
by hiro-0941 | 2009-04-13 23:49

再び十六夜に想う

『長き夜や障子の外をともし行く』と・・・・正岡子規の亡くなる4年ほど前の歌である・・・・・・明治三十一年作。
 秋の夜長虫の音も涼やかに、幾人かの尋ねこれし人も去り時刻、看病に来ている母や妹も隣室に戻り、子規は一人で床に就いている、いつになく寝付かれぬままに、この世に生まれ来りて三十余年・・・、走馬灯の如く思いがよみがえってくる。虫の音のみが聞こゆ障子の外を、母か妹か灯をともしてそっと通りすぎてゆく。自分の他にも、たれか起きている人があることに、心安らぐのであろう。
二十二歳であったか子規が大喀血をし入院するという事態になる。虚子は看護婦を伴い駆け付け、二月以上もの間献身的な看病を続けた。
病状も治まり退院した子規が「死はますます近づき我が文学いよいよ佳境に入りぬ・・・・・わが文学の相続を願う」と・・・・だが虚子はあまりの荷の重さも感じたこともあってか「人が野心名誉心を目的にして学問修行等をするもそれを悪しとは思ず。然れども自分は野心名誉心を起こすことを好まず」と断るが、・・・・・子規が息を引き取った部屋の隣室に寝泊まりしていた虚子は、やがて俳壇ホトトギスを継承し名実ともに明治大正昭和と俳壇に君臨する存在となった。後年万感の思いやみがたく『子規逝くや十七日の月明に』  と虚子は詠み。





d0107950_22534135.jpg

d0107950_2254538.jpg





『春風や 闘志いだきて 丘に立つ』と・・・・・高浜虚子は詠んだ。
[PR]
by hiro-0941 | 2009-04-12 22:58

十六夜に想う

その夜は涼やかな夜風が吹いていた夜半過ぎ、虫の音がことのほか静かな晩……煌々と冴えわたる十六夜の月が雲隠れし、時折月見障子窓を淡く照らす、子規の眠る部屋その隣には添い寝する母妹の寝息が物静かさの中に聞こえる、障子窓より洩れる月明かり 子規の眠る夏掛けの蒲団が二つ三つ大きく波打ったように見え…子規の寝息が途絶え……た。病室で添い寝していた母親が気づいた時には、子規の息がなく……時に明治三十五年九月十九日午前一時頃他界す、惜しむらくは三十五歳という若さである、隣室の虚子は、月明かりのなかこの光景を静かに見つめていた子規の亡きがらを見、胸に去来するもは万感胸に迫り胸中語って余りあろう。
 子規は言わずと知れた明治の偉大なる病床の俳人、歌人でありまた若いころは野球人でもあった。「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 」と
夏目漱石らと深く交流を持ち若き二十二歳のころ喀血す、……、血を吐くまで鳴くといわれるホトトギスの別称と号し『子規』と名乗った…のちの晩年は脊椎カリエスのためほとんど病床で過ごし、亡くなる前日まで歌を詠んだ。





d0107950_21512344.jpg

d0107950_22472414.jpg



『糸瓜咲て痰のつまりし佛かな』     

『痰一斗糸瓜の水も間にあはず』

『をととひのへちまの水も取らざりき』
と書き流し絶筆となる。
[PR]
by hiro-0941 | 2009-04-12 22:50

桜花爛漫              メジロ

年度末と、また期末の決算、新年度等々が重なり若干多忙であった、悲しいかな花見どころではなくなってきた。しばし休息を・・・・。温泉に行ってくるか・・・・。



d0107950_23135215.jpg



『あだなりと 名にこそ立てれ桜花 年にまれなる 人も待ちけり』        詠み人不詳 古今和歌集
[PR]
by hiro-0941 | 2009-04-07 23:29