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中秋の名月             コルリ

夕月・・・先日の中秋の名月は大きく立派であった、我が家の窓より時折雲の合間より除き見せる十五夜の月夜であったが、雲隠れとは残念であった、二、三年振りかで自宅から見たであろうか、この大きく見える月、マスコミなんぞはスーパームーンと言っているが、日本文学をこよなく愛する私には何か味気ないように聞こえる、この月の満ち欠けの表現は古来より、十三夜・十五夜・十六夜等々の呼び名がある。
 この美しい表現をスーパームーンと表現するのは聊か日本文化・文学が失われつつあるように思えてならない。この月そのものは、地球の軌道が寄り月に近づくことによっておこる現象であり、特にその昔は、大気そのものも空気が澄んできれいであり、高層建築物などもない、したがって夕刻地平線から、あるいはお城の向こうから昇り見える大きな満月は、何か事の重大な異常さを知らせるかのように見えたに違いない。
 しかして翌日、十六夜の夕刻六時か七時頃東の空低く赤く輝く十六夜の月が、もうすっかり忘れていた赤い夕月・・・・何年振りかいや何十年ぶりかもしれない、しばし足を止めて、ビルとビルの合間より見える光景に酔いしれ、・・・・何か知らないが年甲斐もなく胸がキュンと・・・・何だろうか解らない・・・・・、近し遠しの思い出の中の何かなのか、思うことはことのほか多く・・・・。


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 我が家に帰り着く頃は十六夜の月はもう屋根の上にまで上がっていた、私の家の小さな門扉を開ける音と同時くらいに、平素から何かにつけてお世話になっている、斜向かいの親爺殿のお上さんが台所の窓越しに、いつもの割烹着姿で私を呼びとめ『今晩は、珍しくお早いですね、家(うち)の人がよかったら一杯どうですかと、』ありがたく二つ返事で、簡単にシャワーを浴びて伺った・・・・。
 親爺殿いわく、いやいや昨日が中秋の名月だがとりあえずいっぱいどうですかと、さんまの刺身・サザエの壺焼き・サザエの刺身と肝のしょうゆ漬け・・・秋田の純米酒「北鹿」これが毎度のこと美味い、なんと贅沢なことか月夜の晩に思いもかけぬ御馳走を頂いた。もう今年で七十八になるはずだが相変わらずお元気な親爺殿は秋田角館の在所で、つれあいのお上さんは確か七十四か五になると思うが、千葉の富浦の在所である。
 ご夫婦には子供がいないためか、私たち一家がこの地に居を構えてから以来二十数年、家族ぐるみで犬と子ども達、ともどもにお世話になってきた。お上さんの実家が千葉の富浦というところで夏には子供たちが小さい時には何度も連れていってくださった。小さな漁港もあり海の幸には困らないその為、いまでもそうだが季節の魚の類は毎度の如くお裾わけで頂戴した。
 酔いも十分に回ってくるといつもの親爺殿の口癖が始まる・・・おれは秋田角館の出だがこのかけてある絵がかの有名な秋田県を代表する日本画家福田豊四郎の絵なんだ、無論本物だ、なんとか鑑定団に出しても恥ずかしくない、たぶん数百万はするだろうウガァハハハハァ・・・・、わしらが老人ホームに行くようになったら君の家に飾ってくれ、と、田舎の雪の農村風景のようだが、数百万はどうかはしらねどもいつかは調べてみようと思いつつもついぞ忘れていた。
 さんざんご馳走になり帰り際に、「いつかまた上さん達いない時に、くさやで一杯やろう」と。親爺殿は耳打ちしてきた。
 福田豊四郎の件文献によれば、「新しい日本画を創り出すため、さまざまな空間表現などの問題に積極的に取り組み、近代的で独創的な作品を生み出し、革新的でありながら郷土色豊かな豊四郎の作品は日本画界を牽引した。」と、
そして豊四郎は晩年「我が歌はふるさとの歌」と題する詩のようなものを書いている。その中には『ふるさとは、はるけし、ふるさとは樹々深き山、緑ひらく草野、雪つつむ冬野、囲炉裡けむたき家、年老いし父よ、母よ、幼なかりし夢、ふるさとは我が胸にあり、独り歌はめ。』の一節。この福田氏は終生我が郷土を愛したのである。

なにはともあれ、長々と書き連ねたが、くさやで一杯が待たれる。
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by hiro-0941 | 2014-09-14 21:49

行き合ひの空             コルリ

九月八日

本日は日曜日と言うのに生憎の雨である、早朝5時を回った頃か雨だれの音が激しく眼が覚めてしまった、九月ともなれば朝の5時はもう暗いだんだんと日の出日の入りが短くなる、この雨を境に秋が近づきつつあるとよい。
 先頃の事であった、昨年もそうであったが、今年も異常なほど夏は暑かったが・・・・例年夏は暑ければ暑いなりにビールをよく飲んだ、暑さに負けぬ様これでもかと阿修羅のごとく、ビアガーデン・小料理屋へと足繁く通った。
 そんな中でも思うことはこの二・三年異常気象の夏であるが、その昔もかなり暑かった、と・・・・、
徒然草には『家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。』
その昔、兼好法師が住んでいたのは京都であり、その気候(極簡単に言えば盆地気候=「夏は猛暑、冬は酷寒の気候」)・・・・約7百年前とはいえ耐えがたき暑さであったと、異常気象や災害・地震も千年七百年単位の何かかあるのだろうか・・・・。酒飲みでも少しは考えるところある。
 ふと気がつけばこんなに涼しくなり、日中は暑さえあるが時折吹く風はもう秋の気配、夕餉の一杯も終わり、お隣の庭先で秋の虫が鳴いたかなと、・・・・・。どことなく少し気落ちし何もないのだが振り向いて見れば何か大きな忘れ物をしたかのように感ずる、日本の夏は短いあっという間に終わった。


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表題として書いた『行き合ひの空』・・・・。日本の四季を表現するなんと素晴らしい言葉だ、古くは七夕の織り姫と彦星の二星が、出会う空の事を指す、四季の中の季節が入り混じった時の空模様をこのように表現すると言う、ちょうどこの時期の空模様の事である。


「みなづきのつごもりの日よめる
     夏と秋とゆきかふ空のかよひぢは
                かたへすずしき風や吹くらむ」  『凡河内躬恒』
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by hiro-0941 | 2014-09-07 12:04