萱葺き屋根の見事なある宿に泊まった時、岳樺が見事に紅葉していた。それは銀杏の紅葉とはまた違って趣があり、雄大かつ荘厳さがあるのだ。
『真直(まっすぐ)な路で両側とも十分に黄葉した林が四五丁も続く処に出ることがある。この路を独り静かに歩むことのどんなに楽しかろう。右側の林の頂(いただき)は夕照鮮(あざや)かにかがやいている。おりおり落葉の音が聞こえるばかり、あたりはしんとしていかにも淋しい。
前にも後ろにも人影見えず、誰にも遇(あ)わず。もしそれが木葉落ちつくしたころならば、路は落葉に埋れて、一足ごとにがさがさと音がする、林は奥まで見すかされ、梢の先は針のごとく細く蒼空(あおぞら)を指している。
なおさら人に遇わない。いよいよ淋しい。落葉をふむ自分の足音ばかり高く、時に一羽の山鳩あわただしく飛び去る羽音に驚かされるばかり。』
国木田独歩『武蔵野日記』より