小春日和の一日、穏やかな無風状態の午後枯れ芝生の上で温かさを感じ、ほころび始めた梅を眺めながら、少し長めの昼休み。それも束の間夕方ともなれば、かなり冷え込んでくる。
今年の寒さは約二十年ぶりとのこと、立春も過ぎ早、雨水、日本語はなんと情緒豊かな言葉が多いのだろうか、先日の冬の冷たい雨も、必ず温かさをもたらしてくれる雨であった。季節は確実に春へと足音が遠くからではあるが聞こえてきている。
雨水とは、今まで降った雪や氷が溶けて水となり、雪が雨に変わって降るという意味、この頃から雨水ぬるみ、草木の発芽を促し、萌芽のきざしも見えてくると言われている。昔より、農耕の準備などは、この雨水を目安として始めるとされてきたのであろう。
『ここに三とせ
人の名を見ずその詩よます過すは よわきよわき心なり』
『椿それも 梅もさなりき 白かりき
わが罪問はぬ 色桃に見る』
与謝野晶子